ちょっとした楽しみが与える影響と明日のことは明日考える...そうやってできたのが今の私。

土曜日の22時。

テレビの前にスタンバイする。

大好きな坂口健太郎のドラマをみるため。

 

昨日そのドラマが終わった。

感動したけどちょっぴり悲しい。

現実的ではないけども、素直に悲しい。

 

と、まあこれは私がここ2、3か月間頑張ってこれた理由になる。

土曜日になれば癒しが待ってる!

この楽しみが私を励ました。

 

そう考えると、私は24年間生きてて“ちょっとした楽しみ”にずいぶん救われてきた。

保育園の時は、お昼寝の時間に大好きなやす子先生の隣で寝ることを楽しみにしてた。

 

小学校の時は、掃除の時間に音楽室のドラムをこっそり叩くのを。

 

中学校の時は、ひたすら部活を。

 

高校生の時は、駅の近くのパン屋さんにブルーベリーパイがあるかどうか。

 

大人になった今は、学生時代に比べてちょっとした楽しみが増えた。

ビジョンが広くなったから。

 

不思議と

「また楽しみに向けて頑張ろう」

って思えちゃうのがすごいところ。

 

好きな人がいた時もそうだった。

日中は頻繁に連絡を取るわけじゃない。

でも、1日の終わりに突然かかってくる電話を楽しみに頑張ってたのは確か。

「今日はこんな日だった」

本当に他愛もない話。

私たちの間では“報告会”のようなもの。

「俺はこの電話があるから、1日乗り切れる」(恥ずかしいからやめて)

 

なんて、人は多分ちょっとした楽しみがあればずっと頑張れる。

(私だけかな)

もしかしたら私たちの電話はちょっとしたものじゃなかったかもしれないけど。

 

仕事で怒られたとき、うまく自分の意見を言えなかったとき

 

人を傷つけてしまったとき...

まあ、いろいろあって落ち込んだとき

 

そんな時は、反省もするけど楽しみを考えるとだいぶ楽になる。

 

でも、

「これがあるから明日も頑張ろう」

なんてありきたりすぎるから嫌いだ。

 

私の座右の銘

「明日のことは明日考える」

 

なんだそれっていつも笑われる。

だってどう考えてもちょっとダメな人間の発言でしょって。

 

そうかもしれない。

 

私は立派な目標だと思ってる。

今、起きていることに対しては今、考えてあげないと意味がないと思ってるから。

 

「明日やろうはバカ野郎」

 

これは、違うよね。

 

明日を有意義に過ごすためかもしれない

本当に今日じゃ無理だと思ったのかもしれない

当日に強いやつなのかもしれない

 

理由はいっぱいあるだろうけど。

バカ野郎ではない。

 

「明日のことは明日考える」

 

これって“今を本気で生きる”ってことじゃないかなって解釈してる。

マイペースな私は結構気に入ってる。

私はね。

 

ちょっとした楽しみは私が頑張る力を

「明日のことは明日考える」はなぜか私に安心感をくれる。

 

その結果、こんな自分ができた。

特別なにかが優れているわけじゃないから、今まで褒められたこともあまりないと思う。

でも、それだけがすべてじゃないし私は私なりに今を楽しんでる。

世の中には褒められるのを楽しみにして生きてる人もいるだろうけど。

 

そんなこんなで、週末も終わってしまった。

「明日からまた仕事か...」

 

それは今は考えない。

明日からのことは明日考えればいい。

今はぐっすり眠ることだけ考えて。

 

夢で坂口健太郎に会えますように。